エコチャレンジ・・・と一言で言ってもこれはかなり難しい。
色々な考え方があるが少しでも環境問題に取り組めたら、と思いながらでも掃除した後から他の人が次から次へゴミを捨てて、全く何の変化も進歩も無いとこれはかなり辛い。それでなくてもボランティアという無償奉仕自体がかなり厳しい現実なのに、それを打ちのめすように他の人が空き缶や空き瓶を高笑いしながら捨てているとやるせない気持ちになる。
ただ、そんな時、自分に言い聞かせる「それで諦めていいのか!?」「何もしなければそれでおわってしまうじゃないか!?」と言い聞かせるが、行動に移すのはとても難しい。
ただ、サイパンを見回すと環境破壊が進んでいるのは明らか・・・・どうしたらいいのだろう?
台風シーズン
丁度、台風4号が日本の沖縄、九州を直撃して太平洋岸に被害を及ぼしている。
この台風がマリアナ近辺で発生したのは先週末。サイパンに一番影響を及ぼしたのは先週の7月10日火曜日のことだった。月曜日から風がかなり強くグアムの南西にトロピカルストーム(TYPHOONの一ランク下)として発達している状態だった。この台風の勢いのすごさは最接近を通り過ぎてからだった。火曜日は雨も降ったし、風も非常に強かった。ただ海洋状況の悪化はその後から始まった。大きなうねりが遥かかなたを北上する台風の影響でサイパンの海岸線に打ちつけられて、船の運行にも支障が出ていた。通常サイパンのリーフ内は波がリーフで砕かれてあまり影響は無いのだが、このときは流石にかなりのうねりがリーフ内にも影響していた。水曜日などは素晴らしい快晴でツーリスト人達にとっては絶好のビーチ日和だったと思うが、ダイビングやマリンスポーツを運営する人達にとってはあまりにも波の影響が大きく、気がもめる一日となったと思う。
北マリアナに既に14年も住んで何度も台風を経験しているが、何度経験してもその威力のすごさには驚かされる。自然の威力・・・これは馬鹿に出来ない。私も含めて日本ではあまり波の持つ力のすごさをきちんと把握している人はあまりいないと思う。まだロタにいた頃、スイミングホールという場所があり岩場にポッカリと穴があいておりそこがまるでプールのよう担っている場所が観光ポイントがあった。そこは外洋と岩場で仕切られていたが、丁度低気圧が通過して波があるときに岩場に出た一人男性ツーリストが外洋を見に岩場に向かった。外から波が寄せていたが見た目は足元に絡みつくぐらいの大きな波ではなかったらしい。ただその見た目と実際は大違いで、踏ん張れるくらいの波の強さだと思っていたら、その波はその男性を岩場い押し倒し、ゴツゴツした岩場の上を転がすほどの威力があった。その男性は何とかスイミングホールの方へ戻ってきたが体中血だらけで緊急でサイパンの病院に運ばれた。この男性はどう考えても波の威力を舐めてかかっていたと思う。
海の力がどれだけ偉大なものか・・・自然の力をなめてかからないように!!
この台風がマリアナ近辺で発生したのは先週末。サイパンに一番影響を及ぼしたのは先週の7月10日火曜日のことだった。月曜日から風がかなり強くグアムの南西にトロピカルストーム(TYPHOONの一ランク下)として発達している状態だった。この台風の勢いのすごさは最接近を通り過ぎてからだった。火曜日は雨も降ったし、風も非常に強かった。ただ海洋状況の悪化はその後から始まった。大きなうねりが遥かかなたを北上する台風の影響でサイパンの海岸線に打ちつけられて、船の運行にも支障が出ていた。通常サイパンのリーフ内は波がリーフで砕かれてあまり影響は無いのだが、このときは流石にかなりのうねりがリーフ内にも影響していた。水曜日などは素晴らしい快晴でツーリスト人達にとっては絶好のビーチ日和だったと思うが、ダイビングやマリンスポーツを運営する人達にとってはあまりにも波の影響が大きく、気がもめる一日となったと思う。
北マリアナに既に14年も住んで何度も台風を経験しているが、何度経験してもその威力のすごさには驚かされる。自然の威力・・・これは馬鹿に出来ない。私も含めて日本ではあまり波の持つ力のすごさをきちんと把握している人はあまりいないと思う。まだロタにいた頃、スイミングホールという場所があり岩場にポッカリと穴があいておりそこがまるでプールのよう担っている場所が観光ポイントがあった。そこは外洋と岩場で仕切られていたが、丁度低気圧が通過して波があるときに岩場に出た一人男性ツーリストが外洋を見に岩場に向かった。外から波が寄せていたが見た目は足元に絡みつくぐらいの大きな波ではなかったらしい。ただその見た目と実際は大違いで、踏ん張れるくらいの波の強さだと思っていたら、その波はその男性を岩場い押し倒し、ゴツゴツした岩場の上を転がすほどの威力があった。その男性は何とかスイミングホールの方へ戻ってきたが体中血だらけで緊急でサイパンの病院に運ばれた。この男性はどう考えても波の威力を舐めてかかっていたと思う。
海の力がどれだけ偉大なものか・・・自然の力をなめてかからないように!!
梅雨空
6月9日から家族を連れて日本に帰国した。
いつも帰国するのはこの時期。それは子供達の夏休みの関係でこの時期しか帰れない事情がある。サイパンの学校が夏休みに入るのは各学校によって多少のズレはあるものの5月終わりから6月はじめにかけて終業式、卒業式を迎える。まずはこれが第一条件となる。それに加え今度私の仕事が旅行業ということで7月には出来るだけ休暇を避けたい事情がある。これが第二条件。この2つの条件を満たす為には日本が梅雨前線で覆われる6月中旬が白田家の休暇時期となるわけである。日本の梅雨はしとしとと雨が降り続き、さらに極端に寒かったりする。サイパンに慣れた身体にはあの寒さは堪える。昨年も鬼怒川温泉に1泊旅行で行ったが、あの寒さには参った。幸い温泉旅行だったから2日間とも温泉に浸かって過ごしたからいいが、帰りがけに日光江戸村に立ち寄ったが雨の中歩き回るのは辛い。さらに子供連れ・・・・辛い・・・・英語で説明しながら・・・さらに辛い、どちらせよ傘が邪魔。
そんな悪いイメージを持ちながら今年も9日から帰国した。名古屋経由で帰ったがセントレアに到着前には飛行機がかなり揺れた。多分、梅雨前線が日本の太平洋岸に停滞しててそこを通過した為だったのだろう。セントレア上空は既に暑い雲に覆われていた。その後、成田から大宮へ向かうバスの中からも雲なのかスモッグなのかわからない空だった。その日の夜半からは雨が降り出し、雨音を聞きながら「これでこのまま梅雨に突入か・・・」とため息混じりに考えていた。その数日後、関東地方の入梅宣言が発表された。
ところが、入梅宣言が発表された日は確かに少し雨模様だったが、その翌日からは日中30℃を越える夏日となり天気予報では入梅宣言撤回?などと言われる程だった。このような状況になると水不足が心配される。事実、その後私がサイパンに帰る23日まで雨が降ったのは1日だけだった。天気予報ではこの梅雨入りの遅れの原因として、しきりに「ラニーニャ現象」と天気予報官が説明をしていた。「ラニーニャ現象」が起こる年は梅雨が短いそうだ。この現象もそうだが、そんな天気予報を見るたびに、これは地球温暖化というもっと大きな地球規模の現象が作用しているのではないかと思わずにはいられなかった。世界各地で起こっている今までとは違う気候の変化は昔とは違う何かを人類に警鐘しているのではないだろうか。今でも小学校の何かの教科書に地球の温度が上がり続けていて、今後あらゆる異常気象が起こるとか、南極、北極の氷が解けて水没する島が出てくると書いてあるのを読んですごいショックを受けた記憶がある。それから35年経ちそれが現実になりつつある。
本当に、これからどうなっていくのだろう。もしかしたらサイパンも海底に沈む日が来るのだろうか?
いつも帰国するのはこの時期。それは子供達の夏休みの関係でこの時期しか帰れない事情がある。サイパンの学校が夏休みに入るのは各学校によって多少のズレはあるものの5月終わりから6月はじめにかけて終業式、卒業式を迎える。まずはこれが第一条件となる。それに加え今度私の仕事が旅行業ということで7月には出来るだけ休暇を避けたい事情がある。これが第二条件。この2つの条件を満たす為には日本が梅雨前線で覆われる6月中旬が白田家の休暇時期となるわけである。日本の梅雨はしとしとと雨が降り続き、さらに極端に寒かったりする。サイパンに慣れた身体にはあの寒さは堪える。昨年も鬼怒川温泉に1泊旅行で行ったが、あの寒さには参った。幸い温泉旅行だったから2日間とも温泉に浸かって過ごしたからいいが、帰りがけに日光江戸村に立ち寄ったが雨の中歩き回るのは辛い。さらに子供連れ・・・・辛い・・・・英語で説明しながら・・・さらに辛い、どちらせよ傘が邪魔。
そんな悪いイメージを持ちながら今年も9日から帰国した。名古屋経由で帰ったがセントレアに到着前には飛行機がかなり揺れた。多分、梅雨前線が日本の太平洋岸に停滞しててそこを通過した為だったのだろう。セントレア上空は既に暑い雲に覆われていた。その後、成田から大宮へ向かうバスの中からも雲なのかスモッグなのかわからない空だった。その日の夜半からは雨が降り出し、雨音を聞きながら「これでこのまま梅雨に突入か・・・」とため息混じりに考えていた。その数日後、関東地方の入梅宣言が発表された。
ところが、入梅宣言が発表された日は確かに少し雨模様だったが、その翌日からは日中30℃を越える夏日となり天気予報では入梅宣言撤回?などと言われる程だった。このような状況になると水不足が心配される。事実、その後私がサイパンに帰る23日まで雨が降ったのは1日だけだった。天気予報ではこの梅雨入りの遅れの原因として、しきりに「ラニーニャ現象」と天気予報官が説明をしていた。「ラニーニャ現象」が起こる年は梅雨が短いそうだ。この現象もそうだが、そんな天気予報を見るたびに、これは地球温暖化というもっと大きな地球規模の現象が作用しているのではないかと思わずにはいられなかった。世界各地で起こっている今までとは違う気候の変化は昔とは違う何かを人類に警鐘しているのではないだろうか。今でも小学校の何かの教科書に地球の温度が上がり続けていて、今後あらゆる異常気象が起こるとか、南極、北極の氷が解けて水没する島が出てくると書いてあるのを読んですごいショックを受けた記憶がある。それから35年経ちそれが現実になりつつある。
本当に、これからどうなっていくのだろう。もしかしたらサイパンも海底に沈む日が来るのだろうか?
ニセ富士
私が住んでいた埼玉県和光市にある一直線に並ぶ団地の中心(丁度、中央には給水塔と集会所がある)から右斜め35度に延びる道があった。その道をしばらく行くと「ニセ富士」と呼ばれる小高い富士山型の小山があった。頂上に登る道がきちんとセメントで作られており、その周りには溶岩のような岩が並んでいたような気がする。というか全体が溶岩で作られたような感じだった。あの頃の歳は何をしても面白かった・・・・小学校1-3年生位だったろうか。単なるそんな山でも飽きずに毎日上ったり降りたりして遊んだものだ。
ただ今の子供達を見ているとその辺の感覚が少し違うような気がする。うちの子供達にしても、暇さえあればコンピューターをいじったり、PSPで遊んだりしている。もっと不思議なのが友達と遊ぶといいながら部屋でPSPを使って遊んでいる。2人とも黙々とPSPをしてる。2人でひとつのゲームを仲良く順番に使っているのならまだ許されるが、2人が2つのゲーム機をそれぞれ持ち、遊んでいるあの光景を見るとゾッとする。他の人とコミュニケーションをとる場合は言葉やボディーランゲージなんて彼らは使わない。PCやゲームを使ってテキストメッセージや画面を使って自分の意思を伝達しようとする。確かに何かしらの伝達は出来るが、細かいニュアンスや言葉の強弱で読み取る感情なんて伝わらない。こんな子供達がこれから社会を背負っていくなんて思うと、年老いてく私達を平気で姥捨て山にSUVのカーゴスペースとかに積んで捨てられそうだ。そうなる前に彼らにもっと違った生活を知ってほしいという気になる。
私自身、昭和39年生まれだがあの頃はまだ日本も貧しく、家の中で遊ぶ道具も多くなかった時期だった。コンピューターもなければNINTENDOもない。遊ぶといったらただ野原を駆け回るか、自転車で走り回る、鬼ごっこをするか、「だるまさんが転んだ!」をするぐらいだった。家で遊べるゲームとしては「人生ゲーム」かなり屋内で遊ぶゲームとしては流行だったと記憶する。季節によってもその時々のブームが子供たちの間で駆け回る。正月には凧揚げ、独楽、張るには土筆を取ったり、夏にはまだ薄暗い中から森に出かけカブトムシ、クワガタ採り。あの頃はそんな季節の変化にあわせて色々なイベントがありたわいもないことがなぜだか楽しかった。今との生活を考えると本当に何もなかったが楽しかった。何かが感動を呼び起こした。大きな岩から岩へのジャンプでさえ、本当は怖いけど、何とか飛べたときに世界を制覇するぐらいの勢いを自分の中に感じた。たかだか岩から岩へのジャンプなのに・・・。こんなことでいいからうちの子供たちに少しでも体験して欲しいし、遊びを通して自然に触れて欲しい。サイパンに在住しているのだから自然ばかりなはずだが、私自身この環境で育ったわけではないので少々勝手がわからない部分が多すぎてこのサイパンの自然から子供達に何を伝えたらいいのかが分からない。やはり自分が子供のときに感じた何かを伝えるには日本の環境でないと子供達に伝えるべきことを伝えられないような気がする。
今年の6月に2週間ばかり日本へ休暇で子供達を連れて帰る予定だ。帰ったらあのニセ富士に子供達を連れて行ってみようかと思う。あそこで子供達が何を感じるか・・・自分が子供のときみたいに遊んでくれるだろうか?うちの子供たちは残念ながら日本語が分からないから言葉で感動を伝えることは非常に難しい。彼らが見て、聞いて、触って、感じることが30年以上も前の私の感じたことと同じだといいのだが。
ただ今の子供達を見ているとその辺の感覚が少し違うような気がする。うちの子供達にしても、暇さえあればコンピューターをいじったり、PSPで遊んだりしている。もっと不思議なのが友達と遊ぶといいながら部屋でPSPを使って遊んでいる。2人とも黙々とPSPをしてる。2人でひとつのゲームを仲良く順番に使っているのならまだ許されるが、2人が2つのゲーム機をそれぞれ持ち、遊んでいるあの光景を見るとゾッとする。他の人とコミュニケーションをとる場合は言葉やボディーランゲージなんて彼らは使わない。PCやゲームを使ってテキストメッセージや画面を使って自分の意思を伝達しようとする。確かに何かしらの伝達は出来るが、細かいニュアンスや言葉の強弱で読み取る感情なんて伝わらない。こんな子供達がこれから社会を背負っていくなんて思うと、年老いてく私達を平気で姥捨て山にSUVのカーゴスペースとかに積んで捨てられそうだ。そうなる前に彼らにもっと違った生活を知ってほしいという気になる。
私自身、昭和39年生まれだがあの頃はまだ日本も貧しく、家の中で遊ぶ道具も多くなかった時期だった。コンピューターもなければNINTENDOもない。遊ぶといったらただ野原を駆け回るか、自転車で走り回る、鬼ごっこをするか、「だるまさんが転んだ!」をするぐらいだった。家で遊べるゲームとしては「人生ゲーム」かなり屋内で遊ぶゲームとしては流行だったと記憶する。季節によってもその時々のブームが子供たちの間で駆け回る。正月には凧揚げ、独楽、張るには土筆を取ったり、夏にはまだ薄暗い中から森に出かけカブトムシ、クワガタ採り。あの頃はそんな季節の変化にあわせて色々なイベントがありたわいもないことがなぜだか楽しかった。今との生活を考えると本当に何もなかったが楽しかった。何かが感動を呼び起こした。大きな岩から岩へのジャンプでさえ、本当は怖いけど、何とか飛べたときに世界を制覇するぐらいの勢いを自分の中に感じた。たかだか岩から岩へのジャンプなのに・・・。こんなことでいいからうちの子供たちに少しでも体験して欲しいし、遊びを通して自然に触れて欲しい。サイパンに在住しているのだから自然ばかりなはずだが、私自身この環境で育ったわけではないので少々勝手がわからない部分が多すぎてこのサイパンの自然から子供達に何を伝えたらいいのかが分からない。やはり自分が子供のときに感じた何かを伝えるには日本の環境でないと子供達に伝えるべきことを伝えられないような気がする。
今年の6月に2週間ばかり日本へ休暇で子供達を連れて帰る予定だ。帰ったらあのニセ富士に子供達を連れて行ってみようかと思う。あそこで子供達が何を感じるか・・・自分が子供のときみたいに遊んでくれるだろうか?うちの子供たちは残念ながら日本語が分からないから言葉で感動を伝えることは非常に難しい。彼らが見て、聞いて、触って、感じることが30年以上も前の私の感じたことと同じだといいのだが。
モモテハイツ
小学校に入る前に埼玉県和光市に引っ越した。
その前は入間郡鶴瀬(今の鶴瀬市?)の団地に住んでいたが父親の仕事の都合上?だか何だか忘れたが引っ越すことになって和光市に越してきた。越してきた場所も団地だったが、横一列にズーーーッと13棟(?)の集合住宅が並んだ不思議な団地だった。その裏(北側)にはモモテハイツという米軍が住む広々とした2階建ての家の並ぶ家々が並んでいた。ただ団地とモモテハイツとの間には高いフェンスがそびえ、そのフェンスの上には薔薇線が団地の方へ15℃位傾いて張られていた。
その当時、モモテハイツが何なのかよく分からなかった。
ただフェンスの向こう側はとんでもなく幅広い道と大きな2階建ての家と青々とした芝のヤードが広がる家々が立ち並んでいた。親達は「あれはアメリカの兵隊さん達が住んでいる場所であそこは日本じゃないから入っちゃだめよ」と子供達に口をそろえて言っていた。はっきり言って「入っちゃだめよ」とか「しちゃだめよ」という言葉が子供達の興味をそそる。高いフェンスだが薔薇線は何とか跨げば跨げないことはない高さだった。あの頃は(今でもだが)無謀は無謀だった。はっきり言ってあそこにはMP(ミリタリーポリス)も巡回してたし、下手したら銃殺されても敗戦国の日本はなーんにも文句が言えない状態だが、子供達はそんなこと知ったことではない。まして戦争に負けたなんてまだ小学校に上がったばかりの頃は習ってもいないからそんなこと知る由もない。私がその場所へ越したときはまだ6,7歳位でそのときにはモモテハイツ自体は日本に返還されることが決まっていたときだったのですべての家に人が住んでいるわけではなく、多くの家が空き家だった。とにかくパステルカラーに塗られた家々を目指してフェンスを越えてから、身を低くしてその家まで行こうとしたが見るよりもその敷地の広いこと広いこと。フェンスを越えて30メートルぐらいすると幅広い団地に沿った一直線の道があるのだかその道自体ものすごく幅広くそこから家までもまた遠いこと遠いこと。ただ見つからないようにひたすら走った。家までたどり着いたが残念ながらそこは鍵がかけられ開いていなかった。窓から覗こうとしたが、窓の位置がかなり高く中の様子を見れなかったが、明らかに自分の住む日本の住宅(しかも団地)より天井が高く広々とした雰囲気が窓の外からも感じ取ることが出来た。一応の任務を遂行したあと、また心臓をドキドキさせながら同じ道のりを自分の住む団地めがけて帰っていった。あの頃、モモテハイツが自分にとっての初めての外国への接点だったのかもしれない。フェンスの向こうに広がるパステルカラーの家並みや、幅広いアスファルトの道等すべてが外国だった。反対にフェンスを越えて金髪少年達がこっちへ来ることもあった。相手は英語で何を話してるのか分からなかったが、今まで見たこともない金髪少年達の近くにいるだけでとても興奮したことを覚えている。しばらくしてその場所が日本に返還され誰でも自由に出入りが出来るようになった。最初にしたことはあの幅の広い道を友達と並んで自転車に乗ったことだ。まるで飛行機の滑走路を自転車で走っているようなまっすぐな道をどこまでもいつまでも走り続けた。今から思うと遊び場にはあまり事欠かない少年時代だった。それを思うとうちの子供たちはちょっとかわいそうな気がする。広々とした遊び場はサイパンだとアメリカンメモリアルパークがあるが、車で連れてってもらわないと自分達ではいけないし、ビーチにしてもそうだ。それを考えると自然ではないが、土地の広さやゆとりというような空間をあのモモテハイツから教えられたような気がする。サイパンで幼少時代を過ごしてる我が子達は将来このサイパンの青い海、青い空、白砂浜からどんな価値観を得るのだろう?
その前は入間郡鶴瀬(今の鶴瀬市?)の団地に住んでいたが父親の仕事の都合上?だか何だか忘れたが引っ越すことになって和光市に越してきた。越してきた場所も団地だったが、横一列にズーーーッと13棟(?)の集合住宅が並んだ不思議な団地だった。その裏(北側)にはモモテハイツという米軍が住む広々とした2階建ての家の並ぶ家々が並んでいた。ただ団地とモモテハイツとの間には高いフェンスがそびえ、そのフェンスの上には薔薇線が団地の方へ15℃位傾いて張られていた。
その当時、モモテハイツが何なのかよく分からなかった。
ただフェンスの向こう側はとんでもなく幅広い道と大きな2階建ての家と青々とした芝のヤードが広がる家々が立ち並んでいた。親達は「あれはアメリカの兵隊さん達が住んでいる場所であそこは日本じゃないから入っちゃだめよ」と子供達に口をそろえて言っていた。はっきり言って「入っちゃだめよ」とか「しちゃだめよ」という言葉が子供達の興味をそそる。高いフェンスだが薔薇線は何とか跨げば跨げないことはない高さだった。あの頃は(今でもだが)無謀は無謀だった。はっきり言ってあそこにはMP(ミリタリーポリス)も巡回してたし、下手したら銃殺されても敗戦国の日本はなーんにも文句が言えない状態だが、子供達はそんなこと知ったことではない。まして戦争に負けたなんてまだ小学校に上がったばかりの頃は習ってもいないからそんなこと知る由もない。私がその場所へ越したときはまだ6,7歳位でそのときにはモモテハイツ自体は日本に返還されることが決まっていたときだったのですべての家に人が住んでいるわけではなく、多くの家が空き家だった。とにかくパステルカラーに塗られた家々を目指してフェンスを越えてから、身を低くしてその家まで行こうとしたが見るよりもその敷地の広いこと広いこと。フェンスを越えて30メートルぐらいすると幅広い団地に沿った一直線の道があるのだかその道自体ものすごく幅広くそこから家までもまた遠いこと遠いこと。ただ見つからないようにひたすら走った。家までたどり着いたが残念ながらそこは鍵がかけられ開いていなかった。窓から覗こうとしたが、窓の位置がかなり高く中の様子を見れなかったが、明らかに自分の住む日本の住宅(しかも団地)より天井が高く広々とした雰囲気が窓の外からも感じ取ることが出来た。一応の任務を遂行したあと、また心臓をドキドキさせながら同じ道のりを自分の住む団地めがけて帰っていった。あの頃、モモテハイツが自分にとっての初めての外国への接点だったのかもしれない。フェンスの向こうに広がるパステルカラーの家並みや、幅広いアスファルトの道等すべてが外国だった。反対にフェンスを越えて金髪少年達がこっちへ来ることもあった。相手は英語で何を話してるのか分からなかったが、今まで見たこともない金髪少年達の近くにいるだけでとても興奮したことを覚えている。しばらくしてその場所が日本に返還され誰でも自由に出入りが出来るようになった。最初にしたことはあの幅の広い道を友達と並んで自転車に乗ったことだ。まるで飛行機の滑走路を自転車で走っているようなまっすぐな道をどこまでもいつまでも走り続けた。今から思うと遊び場にはあまり事欠かない少年時代だった。それを思うとうちの子供たちはちょっとかわいそうな気がする。広々とした遊び場はサイパンだとアメリカンメモリアルパークがあるが、車で連れてってもらわないと自分達ではいけないし、ビーチにしてもそうだ。それを考えると自然ではないが、土地の広さやゆとりというような空間をあのモモテハイツから教えられたような気がする。サイパンで幼少時代を過ごしてる我が子達は将来このサイパンの青い海、青い空、白砂浜からどんな価値観を得るのだろう?
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