モモテハイツ

小学校に入る前に埼玉県和光市に引っ越した。
その前は入間郡鶴瀬(今の鶴瀬市?)の団地に住んでいたが父親の仕事の都合上?だか何だか忘れたが引っ越すことになって和光市に越してきた。越してきた場所も団地だったが、横一列にズーーーッと13棟(?)の集合住宅が並んだ不思議な団地だった。その裏(北側)にはモモテハイツという米軍が住む広々とした2階建ての家の並ぶ家々が並んでいた。ただ団地とモモテハイツとの間には高いフェンスがそびえ、そのフェンスの上には薔薇線が団地の方へ15℃位傾いて張られていた。

その当時、モモテハイツが何なのかよく分からなかった。
ただフェンスの向こう側はとんでもなく幅広い道と大きな2階建ての家と青々とした芝のヤードが広がる家々が立ち並んでいた。親達は「あれはアメリカの兵隊さん達が住んでいる場所であそこは日本じゃないから入っちゃだめよ」と子供達に口をそろえて言っていた。はっきり言って「入っちゃだめよ」とか「しちゃだめよ」という言葉が子供達の興味をそそる。高いフェンスだが薔薇線は何とか跨げば跨げないことはない高さだった。あの頃は(今でもだが)無謀は無謀だった。はっきり言ってあそこにはMP(ミリタリーポリス)も巡回してたし、下手したら銃殺されても敗戦国の日本はなーんにも文句が言えない状態だが、子供達はそんなこと知ったことではない。まして戦争に負けたなんてまだ小学校に上がったばかりの頃は習ってもいないからそんなこと知る由もない。私がその場所へ越したときはまだ6,7歳位でそのときにはモモテハイツ自体は日本に返還されることが決まっていたときだったのですべての家に人が住んでいるわけではなく、多くの家が空き家だった。とにかくパステルカラーに塗られた家々を目指してフェンスを越えてから、身を低くしてその家まで行こうとしたが見るよりもその敷地の広いこと広いこと。フェンスを越えて30メートルぐらいすると幅広い団地に沿った一直線の道があるのだかその道自体ものすごく幅広くそこから家までもまた遠いこと遠いこと。ただ見つからないようにひたすら走った。家までたどり着いたが残念ながらそこは鍵がかけられ開いていなかった。窓から覗こうとしたが、窓の位置がかなり高く中の様子を見れなかったが、明らかに自分の住む日本の住宅(しかも団地)より天井が高く広々とした雰囲気が窓の外からも感じ取ることが出来た。一応の任務を遂行したあと、また心臓をドキドキさせながら同じ道のりを自分の住む団地めがけて帰っていった。あの頃、モモテハイツが自分にとっての初めての外国への接点だったのかもしれない。フェンスの向こうに広がるパステルカラーの家並みや、幅広いアスファルトの道等すべてが外国だった。反対にフェンスを越えて金髪少年達がこっちへ来ることもあった。相手は英語で何を話してるのか分からなかったが、今まで見たこともない金髪少年達の近くにいるだけでとても興奮したことを覚えている。しばらくしてその場所が日本に返還され誰でも自由に出入りが出来るようになった。最初にしたことはあの幅の広い道を友達と並んで自転車に乗ったことだ。まるで飛行機の滑走路を自転車で走っているようなまっすぐな道をどこまでもいつまでも走り続けた。今から思うと遊び場にはあまり事欠かない少年時代だった。それを思うとうちの子供たちはちょっとかわいそうな気がする。広々とした遊び場はサイパンだとアメリカンメモリアルパークがあるが、車で連れてってもらわないと自分達ではいけないし、ビーチにしてもそうだ。それを考えると自然ではないが、土地の広さやゆとりというような空間をあのモモテハイツから教えられたような気がする。サイパンで幼少時代を過ごしてる我が子達は将来このサイパンの青い海、青い空、白砂浜からどんな価値観を得るのだろう?